
| 出合い |
大野 末子
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私は、パーク獅子吼の施設の一つでもある「ふるさと館」に週2から3回の割合で当番として働いています。
ここは、2年前から管理が民間に移行しました。お土産処の「ふるさと館」へ来られる方々は、ぶらりと遊びに来られたり、お買い物される方とか、まちまちです。
合併で広くなった白山市はもちろんですが、比較的に金沢市やお隣の野々市町の方々が多いようです。たまには、外国からのお客様も見えます。
当番でのモットーは、出合いを大切にし、笑顔と方言丸出しで接客させて頂いています。そして、いつもお客様にお伝えしている事は、白山の伏流水です。
昔から、鶴来町は水に因んだ酒、醤油、味噌、麹、酢等のお商売があります。自慢できる豊かな清い水、美味しい水をこれからもお伝えしたいと思っています。
![]() パーク獅子吼。上空ではパラグライダーが舞う |
![]() パーク獅子吼内のふるさと館 |
| 自転車 |
鍛冶 敏子
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![]() サイクリングロード=白山下 |
きっかけはフルタイムで働いて、とても疲れていたので気分転換の為に主人に誘われたこと。
初めて鳥越スキー場まで行った。往復50㎞以上、お尻とハンドルを持つ手が痛くなった。
何回も行くうちに車では味わえない自然の変化が楽しくなった。
早春には、道端に雪が残る中に、ふきのとうが顔を出し、ぜんまい、あさつき、たらのめ、みつば、わらび、せりなどが道路沿いに出て、キョロキョロしながら見つけては収穫した。
山菜の本も持って行って、食べられる物を探したりもした。
帰りのリュックはふっくら、夕食は山菜の天ぷらやおひたしなどが楽しめた。
夏には冷たいきれいな水の小川に入って涼しさを味わい、秋にはくるみやくりが落ちていた。
100円野菜やソフトクリーム、固豆腐、揚げ、お蕎麦、美味しい水などが味わえた。
サイクリングロードも今では白山下まで開通し、どの道路も車の通行量が少ないので自転車は走りやすい。でも利用している人は少ないと思う。
豊かな自然や歴史を残す白山麓を自転車で色々な物を味わいながら廻るのは、健康や癒しのためにはとても魅力ある場所だと思う。
多くの方の利用をおすすめします。
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動物と人間の共生のマナー ‐観光塾で白峰を訪れて- |
勝木 綾子
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また、ベテランガイドさんに感心したのは、登ってくる人の息遣いを見て、適当な場所で立ち止まって、木の名前や花の名前を説明して、少し呼吸が落ち着いたところで、また登るという山のガイドをするだけでなく、グループ全員を見ながら目的地を案内するという高等技術をもつ最高のガイドさんでした。
その他(白山市観光への提言)
・山菜料理、日常家庭料理専門の民宿を
・高級リゾートホテルの誘致(例えば上高地の帝国ホテルのような一流ホテル)
・地元の名物「魚」「野菜」「肉」ブランド品の開発
・松任美川線の町並みの見直し
![]() さつま芋苗の植え付け=白峰地内 |
![]() ガイドに導かれ水芭蕉の観察=白峰地内 |
| 観光ガイド塾を受講して |
瀧田 晴夫
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![]() 観光塾の受講風景=クレイン |
![]() 鶴来ふるさと案内人が観光客をもてなす横町うらら館 |
私は地元出身の者でもなく、観光に関する仕事など全くした事も無いのに、うらら館でふるさと案内人としてボランティア活動をしている。最近の鶴来については何とか説明が出来るようになったと思うが、合併した白山市に関しては、まだまだ自信が持てなかった。
まず「白山まるごと観光塾」なる講座名は、「これだ」と飛び込むのに充分であった。
次に内容を見ると現地視察など実地体験ができる事は、大変に嬉しかった。我々高齢になると、耳から入った事は、殆ど記憶に残ることなく、頭の中を通り過ぎて行ってしまう。その点、現地体験は長く、記憶に残るとともに、受講者仲間のコミュニケーションにも役立った。また、講座終了後に戴いた講演録集は、この点で大変嬉しく、講演資料とともに、大いに活用したい。
講座内容についても、前述の如く、観光のかの字も知らない私にとっては、観光の本質、これからの観光の在り方、観光ガイドの心得など大変参考になりました。
他の多くの観光案内が、案内対象物、案内客がある程度特定できるのに対して、我々うらら館のふるさと案内人は、不特定多数のお客様の不特定多数の質問にお答えしなければならないという難しい面もある。
今後も出来るだけ多くのチャンスを大いに活用して、一人でも多くのお客様に満足して頂けるふるさと案内人になりたいと思う。
| 能の「歌占」について |
中村 清子
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謡曲「歌占」は世阿弥の作品といわれており、その舞台となったところが、白山山麓の「歌占滝」で、知る人ぞ知るところです。県内には、謡曲の舞台となっているものに、「安宅」「実盛」「鵜祭」「木曽」などがあり、白山市に関係するのがこの「歌占」のみということです。
さて、その場所ですが、国道157線を白山に向かって行くと、白山町南の信号(右に折れると鳥越)があります。それを過ぎたところにガソリンスタンドが左側にあり、田を挟んでまもなく、奥の方にこんもりとした小さな雑木林があり、やはり小さな滝があるのを確認することが出来ます。
大型バス一台駐車できる程の草地を少しばかり歩けば、すぐ滝に達することができます。
入り口付近には、姿のよい松の側に謡曲史跡保存会の立ち看板があり、謡曲「歌占」と「歌占滝」と題して説明が書かれている。その内容は、インターネットのHP www.ishinotent.co.jp/Tentou/noh_2.html にあるものとほとんど同じものなのでそれを紹介します。
場所 石川県石川郡白山の麓
[宝生流謡曲本「歌占」(わんや書店)より]
私が実際に滝の前に立ったのは、恥ずかしながら、極最近の八月十九日時々雨の日でした。折からの雨でしょうか、上の方より二筋にわかれ水量も程ほどあり、小振りのやさしい滝で、感慨深く謡曲「歌占」の世界に思いを馳せることができました。
滝の左側に[歌占碑由来]があり、それには(前略)白山比
滝から少しばかり離れたところに、畠山一清翁が書かれたと思われる、[歌占]の大きな石碑もある。(赤戸室石のように思われる)
以上が「歌占滝」についてですが、もう少し「歌占」を詳しく見てみょうと思う。
『謡曲大観』の解説をみると、
| 【能柄】 | 四・五番目 一段劇能 | |
| 【人物】 | 子方 幸菊丸 ツレ 里人 シテ 渡會何某 | |
| 【 所 】 | 加賀国 白山の麓 | |
| 【 時 】 | 四月 | |
| 【作者】 | 熊本作者註文に世阿弥の作とす。 | |
| 【梗概】 | 加賀国白山の里人が、近頃この地へ来た男神子の歌占がよく当るという事を聞いて、親に別れた小兒を連れて、見て貰いに行く。神子はまづ里人の父の病気について判断をし、次にその小兒の歌占を見て、そなたの尋ねる父には既に逢っている筈だがと、不思議に思い、その子の素性を聞くと、伊勢国二見の神職渡會何某の子幸菊丸で、即ち自分がその父であったのである。里人は親子の再会を祝し、神子に地獄の曲舞を謡えと所望する。 これは渡會何某が神にお暇を申さないで廻国した神罰により、一度地獄に堕ちた、その時の様を作ったもので、これを謡うと今も神気がつくのであるが、所望せられるまま、名残りの一曲を奏すると、果たして正気もなくなったが、やがて狂乱からさめて、親子うち連れて帰国した。 | |
| 「歌占」 | 多くの歌の中から、その一を引かせて、その歌意によって吉凶を判断する占法。この曲のシテは小弓に短冊をつけ、一番に手に当った歌を引かせ占っていた。 | |
| 「曲舞」 (くせまい) |
鎌倉室町時代俗間に行われていた一種の歌舞で、語り物めいた歌を舞うもので、観阿弥がこれを謡曲に取り入れた。この曲に出てくる地獄には、ざんすゐ地獄・劒樹(けんじゅ)地獄・石割(せきかつ)地獄・火盆(かぼん)地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・紅蓮地獄・大紅蓮地獄などがあり地獄に堕ちた苦しみを舞う。 |
| 里人の引いた歌 | 北は黄に 南は青く 東白 西くれなゐの 蘇命路の山 |
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| 幸菊丸の引いた歌 | 鶯の かこひの中の 子規(ほととぎす) しやが父に似て しやが父に似ず |
宝生流には現行曲だけで百八十あまりあると言われており、「歌占」を上演される機会は左程多くはなく、是非とも白山市が行っている薪能などで上演されることを、せつに希望します。
![]() 歌占の滝(先出のインターネットのHPより) |
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物見遊山から食(は)み出して ‐リポート・焼畑体験記‐ |
堀田 和明
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私は旧制金沢三中時代に習った、長野県出身で教科が物理担当の綽名「モンス」先生の著書「石川県郷土地誌」は良く出来たテキストで、勿論「薙畑」(焼畑の基本名称)についても詳しく言及してあり、テストにも出題された。それを思い起こして、8月2日、ホンダ・カブ号バイクで、白峰・大道谷(おおみちだに)に駆け付けた。片道55㎞は、さすがに遠かったが。
津幡町、能美市、白山市から集まった物好き屋11人のうち、農家は少ない。体験施設「かもしか」での短いレクチュアのあと、10分ほど歩いて身の丈を超す萱(かや)原に囲まれた焼山に到着。間口8m、奥行き8mの焼場には、既に大仕掛けの粗朶(そだ)が5段、巧みに組まれており、地元有志が早速点火し、模範作業を示したあとの殆どは、私達の仕事。真夏日に近い気温、無風状態の中、粗朶(そだ)組みが天空に向かって火柱を吹き上げる。
3mの長さのコシアブラ樹の長柄の付いた火掻き道具を用い、最上段から下段へと順次火を移す。これを「いぶり」と称し、手作りである。この作業、とても簡単ではない。粗朶が燃え切らぬうちに、タイミング良く、素早く引っ掛け降ろさなければならない。まるで火事場だ、汗ビッショリ。要領悪くモタモタしていると、「いぶり」その物に火が付きそうだし、自分もヤケドの恐れがある、と言う有り様で、もう無我夢中で奮闘する他ない。まさか今更逃げ出す訳にゆかないし。32度の急傾斜地で、しかも足元には石がゴロゴロ、切り株で脚が掬われそうになったりという訳でとても長時間作業は危険、限界を感じ、選手交代をして、テント下でスポーツドリンクで水分補給を兼ねる。この焼き作業を続けること1時間半、最下段に火が回った処で、ヒルメシを食いに「かもしか」へと下山。
お陰様でメシは美味かった。疲れの余りグッスリ寝込んでしまい白山麓民俗資料館の三浦学芸員の肩たたきに跳び起きて、再び午後の作業に焼き場へ急ぐ。鎮火後の熾(お)きを拡散し、愈々種まき準備の耕起砕土である。特殊鍬を力一杯振り下ろすと、ポーンと跳ね返った。
石と山土の混合した足元には、太くてどこまでも伸びる葛根がビッシリとしがみつき、大小の切り株が黒焦げになってあちらこちらに。こりゃ俺のちの畠と全く違うやり方でなくちゃ駄目だ、根性を据えて取り組む。
まるで荒れ地の開墾だ。特に直径一m余りの萱根のデッカイ塊は、数人がかりでもビクともしない。なんでこんな難作業をしてまで焼畑作りをしなけりゃならないんだろうと素朴な疑問が湧く。白峰の先人達の労苦が思いやられる。答えは簡単である。答えは簡単である。少ない平地には、家屋、建て屋があてがわれた墓地でさえ段丘上にあるこの土地柄、耕地は傾斜の山地しか無いのである。焼畑は窮極の生産手段なのである。年2回に分けて、春先には「春薙」で、稗、粟、カマシ(方言で一般名称は四国稗(しこくびえ))、豆など、常食の穀物を作り、秋作は8月初頭に、「草薙」と称して、大根、蕪の種を蒔く。焼いた灰とあとは、地力だけに頼り、他の肥料は一切使わない。水も引きようがないから、天から降る雨のみが当てである。
折角、苦難の上、拓いた畑も、2~3作で地味が衰えてしまうから仕方がない。選択肢は、ただ一つ、他の山を又ぞろ焼いて、以上の作業の繰り返しで此処の住民は毎日の糧を得てきたのだ。労働対価は極めて低く、生産性の上がらぬ原始農法が現代に通用する訳がない。1945年敗戦後、日本復興そして高度成長に赴くと共に、焼畑農業は廃れ行き、出作り小屋も多くあったのに、今は一つとして見当たらず、今もって続けているのは、唯一人、山口清志(せいし)さんが、金沢市東力町から通い農業している。文化財とも言えよう。
私達、平地農家は9月10日頃までに大根、蕪の種蒔きを行う。だから、白峰と1カ月余の時差がある。そうしないと白峰は冬が早いから作物が生育しているヒマが無いのである。三浦学芸員は言う。〈10月末頃に通知するから大根引きに来い〉と。今日の種蒔きは、地元有志が大根区と蕪区に分けてバラ蒔き法でアッと言う間に済んだ。ずい分乱暴にも見えるが、丁寧か覆土なんてやり様が無いので「いぶり」でザザーっと土を掻き回して、それですべて終わり。そんな粗放な仕方でもちゃんと発芽し、〈此処の大根は、とても美味いぞ〉と言って、今日のプログラムを締め括った。降雨は無く、真夏日が2週間以上続いた此の年、果たして芽が出るのか、そして美味と言う。私たちをからかっているのじゃないかと訝る(いぶかる)ばかりだった。
後日、私はある文献で〈高地大根は美味なり〉と云う件(くだり)を読んだ。そこで愈々面白いぞと俄然興味が湧いてきた。
よし、平地で俺が作った大根と焼畑大根とどちらが美味いか、どう違うのか?この舌で較べ確かめてみよう。
紙やパソコンで得た知識は言わば抽象であり、実体験で得たそれは具象。この体験で得られたものが、白峰の民俗文化を知る本物の知識になるかも知れない。 (編集部注:筆者は81歳)
| 美川のシンボル・アクアタワーに思う |
宮森 八代江
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![]() 水道塔(北側より望む) |
![]() 水道塔(南側より望む) |
平成3年の石川国体では、他県からやってきたバドミントンの選手たちは、これを目印に、そして思い出として持って帰ったことと思います。町民挙げて、歓迎したことを思い出します。
次に2000年を迎えるにあたり、電飾で飾られたことです。大晦日に美川町民が集まり、年越しそばを食べながら、ライトを消し、真っ暗の中、声を合わせて「10、9、8・・・」カウントダウン、スイッチon。パッと電気が付き、明るくなるはず、が失敗。あれれ…。配線のどこかがショウトした?で、もう一度やり直し。数分遅れの新年を迎え、明るくなったアクアタワーの元で甘酒をいただき帰りました。これもなつかしい思い出です。その後、毎年、イルミネーションが灯ると、「ああ、また新しい年がくる」と思うのです。
美川には、昔から伝統的な、観光資源になるような建物があまりありません。これは10年に一度のお還り祭りに、お客を招待するために家を改装したり、建て替えたりする為かと思われます。こんな中で、唯一誇れる建物・目立つ建物が、アクアタワーです。市役所へ存続の提案をしたところ、丁寧に事情を話しにこられました。話はわかったけれど、やっぱり水道塔は「美川のシンボル」、特徴あるこの建物を残してほしいものです。
| 一向一揆の城跡を訪ねて |
吉岡 佳代子
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加賀の国、鶴来の舟岡山は杉や雑草が生い茂る小さな丘。裾を縫うように道路が走り、民家が麓に散らばる。その一軒の民家の裏庭から小道が頂に向かって伸びている。草むらを人の足で踏み固めたあとが一条の土になって残った、人一人やっと通れる道である。その道を辿ると、土の感触が妙になつかしい。晴天で土が乾いているからいいものの、雨が降った後など、滑ってとても登ることもできない急坂である。高さもないからほんの数分で頂上に着く。
ここに一向一揆の砦があったという。戦国期には城もあったという。目をこらすと平らにならしたような所や、溝というか堀ともいえる掘込みもある。一画に真新しい白山比咩神社の石碑が建てられている。初期の社殿はこの岡の上にあったことを示すものだという。長い年月の間、宮、砦、城、そして畑と利用されて、今は雑木林に帰しているわけだ。木立がじゃまして見通しはよくない。でも樹木を切りはらえば、手取川上流にも下流にも目が行き届く地であることは確か。敵の進軍を見張り、鳥越城に狼煙で連絡するなど、丘は大きな役目を負っていたのである。
説明を聞きつつ登りそして下る足元には、見慣れてはいるが名も知らぬ様々な雑草が生い茂っている。「これはミズヒキよ。」メンバーの一人が声を上げる。赤い小さな点々が茎に連なっているのがそうだという。そうか名前は聞いたことがあるが、その実物は知らぬままにしてきたが、これがそうなのか。どこでも目にする草である。なんとおめでたい名でそのくせ地味な草である。趣のある名をつけた先人の草への愛情とその洗練された感覚に驚く。
「これがそうだったの、よく知っているわね。」と応答すると、俳句を通して知るようになったという。二曲(ふとげ)城跡への登り口に生えていた木が『マユミ』だと教わったのも彼女から。弓を作るのに用いたからと聞くが、名の響きがいい。秋の山里で、赤い実を取り囲む品のいい桃色が、可憐な花を思わせ目を奪う木である。
名をつけるということは、関心を、愛情をそのものに向けることなのか。俳句を詠むとは、自然に、周囲に目を凝らし、私達の心や感情に向き合い、愛を読み上げることなのかも。ささやかながら、うれしい気付きであった。
![]() 舟岡山の登り口 |
![]() 舟岡山から手取川を望む |
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白山麓「吉野工芸の里」にて、報恩講料理を味わう |
吉岡 佳代子
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![]() 報恩講料理を学ぶ=吉野工芸の里・鶉荘 |
![]() 吉野工芸の里の御仏供杉 |
白山麓にある吉野工芸の里の一画に今も聳え立つ、樹齢650年に及ぶという御仏杉。一名さかさ杉とも言い、茂った枝葉が四方八方にもこんもり広がり、仏壇に供える御仏飯のように見える。姿名前ともに、里人の信仰心があふれている。すぐ横まで迫る山肌の木々は紅葉に燃え、杉の黒々とした緑が際立っている。今なお樹勢に勢いがある。
この杉を手植えした大智禅師は、「この杉が根付いているかぎり、この地は栄える」と言い残して、当地を去ったという。白山山麓のみならず北陸は信仰篤い真宗王国で、報恩講で親鸞上人の遺徳を偲び、その後心尽くしのごちそうを味わいながら歓談のひと時を過ごす。
思いがけず白山まるごと観光塾参加のおかげで、重厚な民家作りの『鶉荘』の座敷で報恩講料理を食する機会を得た。山里は晩秋の装いで目を楽しませくれ、レストラン『手取川』ご主人の調理されたお料理は舌を楽しませ、またじんわりと体も心も温めてくれた。
ご膳と器は朱塗りの輪島塗。食材は山の幸や田畑で取れた穀物や野菜。まさしく地産池消の典型である。身近な食材を素朴ながら丁寧に調理したどの品も深い味わいがある。山葡萄の絞り汁。くずし汁。豆腐になる直前ともいえる『くずし』がたっぷりの汁は、なめこが入りだしを使わないというがうまみがあり、何杯お代わりしてもあきない。山菜の酢の物、黒豆入りなます、煮小豆などなど、見た目地味な山里の精進料理が驚くほどおいしい。
世界中から取り寄せた豊かな食材を、さまざまな調味料で味付けし変化をつけ、現代日本人は日々口をおごらせているのに、私達の先人は身近な限られた食材を、こんなに心をこめて調理し丁寧に盛り付けてごちそうにする知恵と工夫を持っていたのだとあらためて気が付く。日本文化のそして白山麓地域の文化の厚みと豊かさを感じ、誇りを取り戻した一日であった。感謝したい。
| 松任駅前界隈 |
吉本 淳子
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![]() ふるさと館の日本庭園 |
![]() 千代女の里俳句館 |
しんとした静寂の中、庭のとび石をひとつ、またひとつ、足元に気を配りながら渡ります。塵一つない庭、苔が毛足の長い絨毯のように、青々と地を覆い、心をこめた手入れがじーんとこちらに伝わってきます。横手の門を出ると、そこは駅前。左側には、俳句をのせた掲示板。足を止めて、小中学生の句を声に出します。素直な言葉の流れに、小さな俳人の姿を思います。十七文字の文化のすばらしさを体感するひと時です。
そして、千代女の里俳句館へ。玄関のドアを入ると、総ガラス張りの向こうに、庭の緑が、目にとびこんできます。一瞬、言葉をなくしてしまうような…。この静かさ…。目を閉じても、まだ緑。私は少しの間、考えることをやめます。
心が疲れた時は、千代女ののこり香を求めて、俳句館へ足を向けることもよいかもしれません。もしかしたら、未来の加賀の千代女が誕生する、そんな出逢いの場になるかもしれません。
最後にあとひとつ、静かなスポットがあります。駅前に最近出来た喫茶店「野のみち」です。画廊で静かに作品を鑑賞した後、隣のフロアにて、一杯のエスプレッソコーヒーを飲む。流れる音楽が心地よく、また、窓の外に映る松任駅前の風景がとても美しい。
七月の七夕夜灯、また九月に予定されている月見夜灯。窓の外にゆれるロウソクのあかりが、ふるさとの平安を静かに唄っているようです。おだやかなふるさとが、ここにあります。




















